古くなった本を読むブログ

思いのままに本を読んで感じたものを書くブログ

【ブログについて】「古くなった本を読む」をテーマに選んだ理由は今を知りたいから

😤いきつけの図書館のリユースコーナーから児童書が減った 

いきつけの図書館のリユースコーナーから児童書が減ってきました。

 

これを機会に一度ブログの方針をおさらいしておきたいと思い記事にします。

 

「古くなった本を読む」をテーマに選んだ理由は色々といきさつがあります。

 

ひとつは僕の得意な読書をテーマにしたいという思いが理由です。

 

僕は読むのが得意だと思っていますが、書くのが苦手です。

 

ブログを続けるにあたっては書くのが苦手なのでせめて題材だけでも得意なものしたいと思い、読書を選びました。

 

これが読書をテーマにした理由です。

 

次に古くなった本をテーマに選んだ理由ですが、これには僕独自の考えがあります。

 

それは、今に今はないという考えです。

 

今回の記事では僕の考えを分かりやすく伝えることを目標としています。

 

僕の考えを伝えることで児童書が減ってきた今、僕自身もブログの方向性を見失わずに記事の更新を続けていけると考えています。

 

では今に今はないという僕独自の考えを分かりやすい言葉に置き換えてみたいと思います。

 

 

f:id:tanisuke1234:20170719060021j:plain

 

 

枯れ木に葉っぱが一枚くっついていたとします。

 

今の木はどういう状態でしょうか。

 

今の木は葉っぱが一枚くっついている状態です。

 

今に今がありそうです。

 

しかし今まさに葉っぱが風にあおられて、木から離れ、くるりと舞い、地面に落ちたとします。

 

今の木はどういう状態でしょうか。

 

今の木は裸の状態です。

 

しかし待ってください。

 

なぜ裸の状態と認識できたのでしょうか。

 

落ちた葉っぱを見たから裸だと認識できたのではないですか。

 

裸なる木をそのまま見て裸だと認識できていますか。

 

裸なる木と、葉っぱが一枚くっついている木の境界をどこで線引きしていますか。

 

葉っぱがくっついている木は葉っぱが木に一枚くっついているから、葉っぱが一枚くっついている木です。

 

しかし葉っぱがくっついていない木にはくっついていない葉っぱが見えているのですか。

 

葉っぱがくっついていない木と、青虫がくっついていない木はどうちがうのですか。

 

木から葉っぱが切りはなされてしまっては裸の木を認識できません。

 

裸の木を認識するには切り離された葉っぱを見ることです。

 

木に葉っぱが一枚もくっついていないとします。

 

木に葉っぱが一枚もくっついていないと認識できるのは、木に葉っぱがくっついていた状態を見たからです。 

 

裸とはどこにあるのでしょうか。

 

裸とは落ちた葉っぱにあるのです。

 

これが僕の考えです。 

 

 

🐌

 

 

まわりくどく書いてきましたが、裸の木に今はありません。

 

落ちた葉っぱに今があります。

 

落ちた葉っぱを認識することが裸の木を認識することになります。

 

これが今に今はないという考えです。

 

 

ここまで書けばもうお気づきだと思いますが、僕が線引きをしたのは古くなった本と、今でも読まれている本の間です。

 

裸の木の話で書けば、今でも読まれている本を認識するには切り離された葉っぱを読む必要があります。

 

葉っぱとはつまり古くなった本です。

 

古くなった本を読み、今でも読まれている本を知りたいのです。

 

 

ここまでおつきあいいただきまして本当にありがとうございます。

 

めんどうくさい話を長々と書いてしまい半分も伝わったかどうかわかりませんが、一度原点に立ち返り、ブログの方針を再確認したいと思い書きました。

 

古くなった本って何だと思われていた方もいらっしゃるでしょうが、今日のまとめで書けば、古くなった本とは今は読まれなくなった本です。

 

古くなった本を読む理由は今を知りたいからです。

 

 

明読斎によるめんどうくさい話でした。

 

 

なお、児童書が棚から消えあさってからは別の種類の本を読み始めようと思っています。

 

本文中に何度か線引きという言葉を使いましたが、これはあさってから読み始める本の布石です。

 

 

読んでもらいありがとうございました。

 

明読斎